遅めに起きる<10時台。
朝食:おにぎり(ゆかり)。
昼食:味噌煮込み。
夜馴染みの仕事仲間の方がいらっしゃったのでピザをとる。
ピザを取りに行く際、引き戸の開閉がスムーズにいかず、後で油でも塗った方がいいかな・・と思いつつ外して行く。
その後、お話などしていると・・・恐らく犬がひっかけて・・・ガラスの引き戸が「ガシャーーーーン」と倒れた音がした・・・。
行ってみるとガラスが粉砕状態・・・すごい状態・・・後で見たら4枚のガラスのうち3枚が割れた模様。
あの惨状を見ると一枚残っていた方が不思議なぐらい。
TV:大河ドラマ「天地人」を見る。
今日は本能寺の変。
朝、歴史物の本が届いていたので若干目を通す。
今日の題材は武田勝頼と勝海舟。
主に武田勝頼の方に目を通す。
最近このシリーズの本を偶にパラパラ見るが最近印象に残ったのは黒田如水(官兵衛)だろうか?。
秀吉の参謀だった人で表面的なことは知っていたけど、よくよく読んでみると得るものもあると思う。
秀吉の天才的軍略と思われている多くのことは、官兵衛の発案のようだ(もう一人有名な参謀として竹中半兵衛だが早い時期に病没)。
信長時代には奇襲で10倍の敵を撃退することが複数回・・・真田を彷彿とさせる。
本能寺の変で織田信長が死去したとき、孝高(官兵衛)は取り乱す秀吉に対して「御運が開かれる機会が参りましたな」と言った。これにより秀吉は落ち着きを取り戻したが、以後孝高の智謀を恐れるようになった。
秀吉曰く、「秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり」「官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るだろう」「お前たちはやつの本当の力量をわかっていない。やつに100万石を与えたらとたんに天下を奪ってしまう」。
関ヶ原の戦い後、如水と息子の長政の功績で52万石と外様の大大名になるが、その前は秀吉に警戒され10数万石の大名に過ぎない。
関ヶ原前夜に東軍として加藤清正と共に九州で9月9日進軍開始、石垣原の戦いに勝利して着々と勢力拡大。
10月までに九州の北半分以上をほぼ平定(関ヶ原の戦いは9月15日)。
関ヶ原後、長政が家康のために最善を尽くしたのを揶揄していたようだ。
確かに、九州での躍進を考えると関ヶ原の決着が延びれば52万石などでは到底収まらなかったかもしれない。
天下をとれたかもしれないし、天下をとれないまでも、秀吉政権下での家康ぐらいの地位が得られたかもしれない。
そして、秀吉政権下での家康ぐらいの地位が得られたら次の機会に天下を獲ることはそれ程難しくなかったかもしれない。
関ヶ原が長引いて、黒田がもう少し大勢力になっていたら、関ヶ原後も家康は唯一の超大国として、やりたい放題はできなかったかもしれない。
とは言え、関ヶ原から4年弱で如水が亡くなっていたことを考えると江戸幕府の流れは変わらなかったかもしれない。
・・と「かもしれない」が延々と続いた(笑)。
黒田家は結果として有力大名として残ったから結果オーライだけど、逆に52万石では外様では大大名でも天下人に潰されてしまう程度の規模。
現に同程度の規模の加藤家は徳川家光に潰されている。
長政の行動を軽率で幼いと思うのは当然のことかもしれない。
僕は歴史上の人物が好きだとよく思われるけど、そうではない。
(戦国期なので緊急行為類似という性質はあるかもしれないが)人権思想の乏しいこの時代に活躍した人々は現代の倫理感からすると許容できないことが多い。
何年か前に自民・民主の党首の尊敬する人物が共に織田信長であったのを見て、「・・・・・・(−−;」と思ったのを覚えている。
他にも信長を尊敬する政治家は多い。
信長が些細な理由で人を沢山殺めたのを知っているのだろうか?・・・理解に苦しむ。
僕にとって歴史は教養であり、参考と言ったところである。
一般に信長・秀吉・家康などに目が行きがちだが、教養・参考と言う点では、伊達政宗・黒田如水などの方が参考になるかもしれない。
僕は天下人になる(国家権力の一番上に立つ)ことはまずありえないので、権力と折り合いをつけながら世渡りしていく他はない。
その際に心がけるのは、「人に媚びず、富貴を望まず」(如水の遺訓)と言ったところか。
後、印象深い言葉として武田信玄の「およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって下と為す。」というのがある。
そこそこの勝利が最善で大勝は危ういと言うことである。
僕も経済面で当初連戦連勝だったが調子に乗り過ぎてリセッション(後退)局面が大きくなった。
調子がいいと、目先の魚の大群を釣ることに意識がいって、船が漂流しているのに気づきにくくなる(足元すくわれる)という感じだろうか。
トヨタも最高益を叩き出したと思ったら、最悪期に突入。
歴史を見ても(代を変わることもあるが)最盛期が滅亡の原因(遠因)になることは多い。
武田も三方ヶ原で織田・徳川連合軍に大勝したことが滅亡の遠因だったのかもしれない。
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